岡村 隆史(おかむら たかし 1970年〈昭和45年〉7月3日 - )は、日本のお笑いタレント。矢部浩之とお笑いコンビ「ナインティナイン」を結成し、俳優、ラジオパーソナリティとしても活動。 大阪府大阪市東淀川区出身。吉本興業(東京本社)所属。吉本総合芸能学院(NSC)の第9期生。既婚。
50キロバイト (6,965 語) - 2022年6月30日 (木) 09:48
岡村君、今は元気になってよかったね(*´ω`*)

1 jinjin ★ :2022/07/02(土) 22:48:16.02
ナイナイ岡村隆史「5カ月休養」の真実…一時は重病説まで飛び交った


【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#103

ナインティナインの巻(4)

ナイナイ岡村は10年来のメシ友と「男50歳」初婚再婚の条件

学費未納でNSCを3カ月で退学になってしまったナイナイ。
それでも、当時の2丁目劇場の支配人が「おもろいコンビ作んのがうちの仕事でしょ!」とNSC担当者とケンカをしてまで起用し続け、お笑いダンスユニット・吉本印天然素材のメンバーにも選ばれ東京へ進出。

以降はみなさんもよくご存じのように、「笑っていいとも!」のレギュラーになり、次々に冠番組を持ち、「めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)」でその人気は不動のものになります。


ところが2010年の7月に岡村君が体調不良で約5カ月間の休養を余儀なくされました。

当時、心配しながらも誰に聞いても実態がわからず「相当悪いらしい」「もう復帰は無理みたい」というネガティブな情報だけが駆け巡っていました。
この時のことを拙著「素顔の岡村隆史」の取材で岡村君に話を聞きましたが、「よく戻ってこられたな」というのが正直な思いでした。

休日の2日間を利用して一人芝居の台本を書こうと原稿用紙に向かったところから異変が始まっていました。
一気に書いてしまおうと外からの音を遮断するためにノイズキャンセリングヘッドホンをつけて、糖分補給のために角砂糖をかじりながら、台本を書き続け、気がついたら一睡もせずにトイレ以外は食事も取らずに2日が過ぎていたというのです。

「これはマズイ!」と病院で点滴を受けたものの、変なスイッチが入ってしまったのか眠れない日が続き、今度は番組で一言もしゃべることなく終えるようになりました。
周囲の心配をよそに責任感の強い岡村君は「大丈夫やから」と言うばかり。


■オールナイトニッポンのハガキの仕分けができなくなり

そんな中、オールナイトニッポンの放送前のこと。
紹介するハガキを選んでいた時、採用と不採用に分けていた山が途中からごちゃごちゃになり仕分けることができず、本番でもろれつが回らず、動悸が止まらず、相方の矢部君のしゃべりに相づちを打つのがやっとになってしまった。

さすがに会社から“強制休養”の命が下って緊急入院することになります。
入院後も“対人恐怖症”で誰とも会わず、吉本内でも「岡村重病説」が飛び交い始めました。
返事が来ることはないとわかっていましたが岡村君の携帯に「全部の責任を背負い込まずにゆっくり休みや」という内容のメールを送っていました。


5カ月後にようやく「めちゃイケ」へ復帰。画面に映る元気な姿を見て涙があふれました。
その後、20周年特番「ナイナイ20周年感謝祭」の「お世話になった方へのお礼企画」で劇場の楽屋へ私を訪ねに来てくれて、久しぶりに元気な2人と再会できました。

矢部君は「君らボケとツッコミ逆やろ!」と言いながら「さした指の角度までまだ覚えてますもん」と懐かしそうに語ってくれました。
そんな2人を眺め、授業中に思わず口走った「君らは売れる!」の言葉が蘇っていました。

(本多正識/漫才作家)

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c0bb5d34c51f783279a9df0092117dc0ffd3264

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