石田 千尋(いしだ ちひろ、1955年 - )は、日本の歴史学者。鶴見大学文学部文化財学科教授。博士(歴史学)。専門分野は日蘭貿易を中心とする日本近世対外交渉史。 岐阜県生まれ。1981年青山学院大学文学部史学科卒業。同大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。1989年同博士課程満期退学。2005年
1キロバイト (157 語) - 2022年8月2日 (火) 06:13
晩年はトラブルが多かったらしいね。ご冥福をお祈りします。

1 muffin ★ :2022/08/01(月) 20:14:26.91ID:CAP_USER9
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2022.08.01

「ふるべゆらゆらとふるべ……」

一人タイムスリップしたかのような和装束の男が、何度も何度もこの言葉を唱えると、両手を合わせた依頼者は突然、床に横倒しになったーー。

男の名前は石田千尋。「現代の陰陽師」と呼ばれ、『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)をはじめ、『中居正広の金曜日のスマ(現・スマイル)たちへ』『うたばん』(ともにTBS系)といった中居正広のMC番組に何度も出演した。

野村萬斎が主演した映画『陰陽師』(2001年公開)とほぼ同時期にメディアに登場し、「祝詞」を唱える怨霊退治を披露していた石田は、当時の超常現象ブームを牽引していた人物の一人だった。かつての知人はこう話す。

「石田とは一緒に仕事をしていましたが決裂して10年以上、会っていません。今年になって知人から『亡くなったそうだよ』と聞いたんです」

たびたびのテレビ出演に加えて、石田は陰陽道から派生した占いもこなしており、「人生アドバイザー」としても精力的に活動していた。
「当時は非常に羽振りがよく、自宅兼オフィスとして、渋谷に豪邸を購入したんです。でも、そこは買った人が皆、住まいを失う“呪われた家”といわれていまして……」(同前)
中略

「そのころから、彼に“異変”が見られたそうです。占いの仕事で客と揉めたり、金銭トラブルを抱えたり……。さらにはSNSで外国人差別などのヘイト発言を繰り返すようになっていました」(同前)

石田は自らの名でのアカウントに加えて、「胸形千尋」という名前で3つのツイッターアカウントを開設していた。2013年12月に開設された“初期”の胸形アカウントのプロフィール欄には「トランプ大統領閣下とQと一緒に戦う日本人」とあり、米国を中心に広がる陰謀論「Qアノン」を信奉していることを窺わせる投稿が繰り返されていた。
 しかし、最後まで投稿されていた胸形アカウントも、2021年12月29日を境に音沙汰がなくなる。直前には「今日、急に、意識を失い倒れた。」(2021年12月26日投稿)など、体調の悪さを窺わせていた。
中略

 石田を“支援”していたA氏を訪ねると、取材に答えた。

ーー石田さんがこちらで昨年、亡くなったと聞きました。

「はい。昨年12月31日にここで亡くなられたんですけど、自分は彼の親族でもなんでもないので……」
中略

人に取り憑いた悪霊を祓い続けて一世を風靡した陰陽師は、自らを襲う病魔に打ち勝てず、寂しい最期を迎えていたーー。

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(出典 data.smart-flash.jp)

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