ユースケサンタマリア


ユースケサンタマリア(1971年3月12日 - )は、日本の俳優、声優、歌手、タレント、司会者。本名は中山 裕介(なかやま ゆうすけ)。大分県出身。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。愛称はユースケ。 ラテンロックバンド・BINGO BONGOのボーカル&MCでデビューし、現在は俳優、
60キロバイト (7,824 語) - 2022年9月14日 (水) 08:58
ユースケさん、ちゃんと言ってくれなくちゃぁ(*´ω`*)おめでとうございます!(^_-)-☆

1 ひかり ★ :2022/09/14(水) 16:38:24.18ID:CAP_USER9
 俳優、タレントのユースケ・サンタマリア(51才)が再婚していたことがわかった。10月下旬には、東京湾を望む高級ホテルの結婚式場で「愛を誓い合う」こととなる。

 ユースケは2004年に2才年上の女性と結婚したが、10年間の別居を経て2018年6月に離婚している。彼にとっては再婚となるが、そのお相手というのが20才年下の小西真奈美似の美女だという。

「知人が主催した食事会で知り合った一般のかたのようですね。交際期間は3年ほどですが、当初から結婚を意識していたようで、すぐに同棲されていました」(芸能関係者)

 交際を隠すこともなく、2020年6月にはふたりでいるところを『フライデー』の記者に直撃されたが、「(再婚は)将来的にはできたらいいなって思っています」と答えていた。ユースケの知人が、結婚式を控えた幸せそうなふたりの様子をこう話す。

「以前のユースケさんは、家ではグータラ者で、姉さん女房の尻に敷かれるくらいがちょうどよかったんです。でも離婚を経験して年を重ねていくなかで、包容力が出てきたようです。いまは彼が彼女をリードしているようですよ。あ! そういえばもう“彼女”じゃないんですよ」

 知人がうれしそうに続ける。

「今年の春頃、ふたりは入籍しているんです。そのタイミングで、ユースケさんは故郷の大分県からお母さんを呼び寄せて顔合わせもしたようです。そのあと“夫婦”で大分の実家も訪ねています」

 顔合わせを終えると、ふたりは結婚式について話し合いを重ねていった。当初、ユースケは式には乗り気ではなかったという。

「再婚のユースケさんは、2回目なので結婚式はやらなくてもいいという考えだったようです。ですが初婚の奥さんとしては、ウエディングドレスが着たかった。そんな奥さんの気持ちに応えて、結婚式をすることになったそうです。ただコロナ禍ということもあって、出席者は20人弱のこぢんまりとした式になるようです」(前出・ユースケの知人)

 ユースケの母親は息子の再婚を知人に目を細めて報告している。母親はユースケの仕事が軌道に乗り始めた頃、上京して身の回りの世話を焼いていた時期がある。しかし、ユースケは忙しさに追われるあまり、母親に八つ当たりしたこともあったという。今年2月放送の『ナゼそこ?』(テレビ東京系)に出演したユースケは、当時の行いを「本当にあのときは悪かった」と口にした。そうした後悔もあってか、ユースケの親孝行ぶりは周囲も認めるほど。

「古い集合住宅暮らしだったお母さんのために、大分市内に新築の一戸建てをプレゼントしています。愛犬家のお母さんが散歩しやすいようにと、大きな公園の近くを選んだようです」(前出・ユースケの知人)

 ユースケにはもう1つ親孝行したいことがある。

「前妻との間にはお子さんがいなかったこともあり、お母さんはユースケさんに“お前の子供が見たい”と話すこともあるようです。そればかりはコウノトリが運んでくることですが、お母さんとしては楽しみにしているようですよ」(前出・ユースケの知人)

 ただ、母親には心配事があるようで。

「実は、ユースケさんはいまも欠かさずお母さんに仕送りを続けているんです。でもお子さんが生まれたら何かと入用になるでしょうから、“仕送りを止めないでよって、ユースケに言っておかなくちゃ!”と冗談を飛ばしていますよ」(母親の知人)

 母親も巻き込んだ幸せな新婚生活は、もうスタートしている。

※女性セブン2022年9月29日・10月6日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/b8759ef9f22c0c9a3cbce3e70b80085172d12abc
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8759ef9f22c0c9a3cbce3e70b80085172d12abc?page=2

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ユースケサンタマリア(1971年3月12日 - )は、日本の俳優、声優、タレント、司会者、歌手。本名は中山 裕介(なかやま ゆうすけ)。 大分県出身。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。愛称はユースケ。ラテンロックバンドのヴォーカル&MCでデビューし、現在は俳優、タレント、司会者をメインに活躍している。身長173cm。
60キロバイト (7,755 語) - 2022年4月18日 (月) 22:53
二人は仲良しなんだね(*´ω`*) 

1 jinjin ★ :2022/04/18(月) 00:06:45.38

ユースケ・サンタマリア 草なぎ剛は「永遠の俺の相棒」と明*「彼の前だと安心する」


ユースケ・サンタマリア(51)が17日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」(日曜後10・00)に出演。
98年から18年まで放送されていた「『ぷっ』すま」(テレビ朝日系)でともにMCを務めていた草なぎ剛(47)は「永遠の俺の相方」と感謝した。


ユースケは「宝物」という革のライダースジャケットを披露。
胸には「santamaria」と書かれたもので、「企画で、原宿のビンテージのいいジーパンとか置いてある店に行って、その店のオリジナルの革ジャンを着ていたの」と説明。

試着した時に「いいなあ、これって言っていたら、そしたら剛が何を思ったのか『もうわかった!俺が買ってあげるよ』ってなって」と、草なぎからプレゼントされたことをあかした。

「今、ちょうど微妙な年齢で、こういうの着るの恥ずかしくて」と言いながらも「今、似合うの待っている。あと5年くらいしたら似合うようになっているかな」とし「宝物ですよ」と続けた。


また、MCの山崎育三郎(36)から「草なぎさんってどんな人ですか?」と聞かれたユースケは「剛はね、番組は終わったけど…。俺さ、ずっと一人でやっているから、芸人のコンビとかうらやましい訳よ。相方だけは味方とか…。だから、剛は永遠の俺の相棒っていうか。そういうイメージ」と明かし
「あいつからしたら、仲間いるんだけど、俺はいないから…。ま勝手に。20年くらいやっていたから、すごい彼の前だと安心する」と語った。


https://news.yahoo.co.jp/articles/6a5b6934a86be549b0058984fdd49cef15a3af65


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ユースケサンタマリア(1971年3月12日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、歌手。本名は中山 裕介(なかやま ゆうすけ)。 大分県出身。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。愛称はユースケ。ラテンロックバンドのヴォーカル&MCでデビューし、現在は俳優、タレント、司会者をメインに活躍している。身長173cm。
57キロバイト (7,617 語) - 2021年9月29日 (水) 06:27


珍しい名前だから、すぐに覚えたけどね(*´ω`*)

1 爆笑ゴリラ ★ :2021/11/05(金) 13:57:02.88

11/4(木) 11:30
AERA dot.

ユースケ・サンタマリア「ずっと改名したかった」 28年経っても違和感〈週刊朝日〉
ユースケ・サンタマリア [撮影/写真部・高橋奈緒、ヘアメイク/池田真希、スタイリング/藤本大輔(tas)]
 ドラマや映画、舞台、バラエティーと幅広く活躍するユースケ・サンタマリアさん。芸名の誕生秘話や役者を主軸に活動する理由などを明*。

「元ミュージシャンですよね?」と言われることがある。1990年代の前半、大分から上京したユースケさんは、最初、ラテンロックバンドBINGO BONGOのボーカルとして、芸能活動をスタートさせた。「サンタマリア」という芸名はそのときの名残だ。

「ひょんなことからバンドを組むことになって、でも当時の僕はラテンの楽曲なんて興味もなければ、歌ったこともなかった。事務所の人から、『本名が地味すぎるから、カタカナの芸名にしようと思う。“ティト”“ゴンザレス”“サンタマリア”なら、どれがいい?』って聞かれたので、『その3択ならサンタマリアですかね』って答えたら、そのまま28年ぐらい経っちゃって(苦笑)。いまだにこの名前には違和感あります」

 90年代といえば、音楽業界やテレビドラマはメガヒットが量産されていた時期だ。ユースケさんは、バンドのボーカル時代に、今のK-POPブームを先取りしたような深夜の音楽番組「アジアNビート」の司会を2年間務めた。

「マネジャーから、『音楽番組の司会が決まりましたよ!』と言われて、制作会社に連れていかれたので、てっきりスタッフさんとの顔合わせだと思って、『よろしくお願いします!』『頑張ります!』とやる気を見せたら、それがオーディションだった。その怖いもの知らずの感じが受けたのか、司会に抜擢されたんです。当時は、怒られた記憶しかないですね。ラテンバンドのボーカルということで、わけもわからず陽気なキャラクターを演じていました」

 音楽の世界に足を踏み入れてはみたものの、音楽一本でやっていける自信はなかった。すると今度は、日テレの深夜ドラマで主演が決まった。

「すごく実験的な枠だったんですが、なんとなく、芝居もやれるんじゃないかという根拠のない自信はあった。自分のイメージには届かなかったけれど、周りのスタッフさんが、『本当に初めて?』『これがオンエアされたら各局のドラマから引っ張りだこになるよ』とおだてられて。そのときは無知の強みで、満更でもなかったんです。でも、そこから1年ぐらいはオファーがなかった。そうしたら、当時のマネジャーが突然、『フジテレビのドラマが決まったぞ』と」

 それが、後に映画化もされて社会現象を巻き起こした「踊る大捜査線」の真下正義役だった。

「ただ、これには後日談があるんです。マネジャーが『決まった』と言ったとき、実際に決まっていたのは僕がオーディションに参加することだけだった。僕は、普通に顔合わせのノリで、『お願いします!』『頑張ります!』ってやる気満々で挨拶した。後になってプロデューサーの亀山(千広)さんは、『こんなにやる気を見せているやつを落としたら、可哀想だと思ったから同情枠で採用した。(芝居が)ダメだったら、途中で殉職させればいいんだから』と話していましたね」

 そのオーディションのとき、フジテレビ側のスタッフから、「ところで、本当にこの名前でいいの?」と質問された。
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(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

https://news.yahoo.co.jp/articles/148967cedd9955fb148995921e7188cdf3e30c8a


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