忽那 汐里(くつな しおり、英: Shiori Kutsuna、1992年12月22日 - )は、日系オーストラリア人の女優。オーストラリアのニューサウスウェールズ州シドニーで日系オーストラリア人3世として生まれた。 2006年、日本で女優を目指すために学校の冬休み(北半球では夏)にシドニーから訪
29キロバイト (3,476 語) - 2021年9月8日 (水) 12:38


世界に出れば、人種差別にも合うんだね(*´ω`*) 日本はまだ平和だよね(^_-)-☆

1 湛然 ★ :2021/09/16(木) 05:31:43.09 ID:CAP_USER9.net

ハリウッド女優・忽那汐里が語る母への思い「アジア人差別、アイデンティティークライシスも…」〈dot.〉
9/15(水) 11:30 AERA dot.
https://news.yahoo.co.jp/articles/b01db0bb187fc62cf0a01e3bc8d78de5506c9116?page=1
「母は一番に褒めてもらいたい存在」と話した忽那さん(撮影/写真部・東川哲也)

(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)



 2007年にドラマ『3年B組金八先生』で女優としてデビューし、数々の話題作に出演している女優の忽那汐里さん(28)。近年は活動の場を海外へ広げ、18年には映画『デットプール2』で本格的なハリウッドデビューを果たした。グローバルな活躍を続ける忽那さんに、女優としての覚悟、家族への思い、今後の「野望」などを聞いた。

*  *  *
――オーストラリアで生まれ、14歳で日本に移住しました。日本語はどこで勉強したんですか?

毎週土曜日に日本語の補習校があって、そこで勉強しました。ただ家では英語禁止だったんです。両親も日本人ですし、日本語と触れあう機会は多かったと思います。それでも、仕事をする上では難しい部分もありましたので、母と二人三脚で台本に振り仮名を書いたりしていました。母のサポートなしでは難しかったと思います。

――環境の変化による苦労はありましたか?

14歳という多感な時期に環境の変化があったのはすごく大きかったと思います。自分で客観的に感情を理解して、消化することができない年齢だったので戸惑いました。稀にですが、オーストラリアではアジア人として差別されたこともあって、「自分はアジア人なんだ」「日本人なんだ」って意識する機会が多かったんです。でも、いざ日本に来ると同級生との考え方とか価値観がまったく違う。若いうちからアイデンティティークライシスみたいな感覚は感じていました。

――そうした環境で学んだことはありますか?

今は自分の中で両方の文化が共存していて、いろんな視点で物事を見て感じとれるようになっていると思います。それは海外で仕事をする時にも、ちょうどバランスよく、うまく使えているんじゃないかなと。いろいろな国で仕事をするようになって、「日本人ほどまじめに仕事に向き合う人種はいないな」と感じます。そういう環境で仕事のベースを学ばせてもらえたのは、私の強みになっている気がします。

――海外で勝負をしようと決断したのはなぜですか?

実は、「ハリウッドに行きたい」と強く願っていたわけではないんです。日本で仕事をしていた後半の頃、海外の作品に出演する機会が増えて、台湾のホウ・シャオシェン監督やトルコとの合同作品に出演しました。16年に、ウェイン・ワン監督の『女が眠る時』という映画に出演したんですが、その時、ウェイン監督から「日本人でそんなに英語が話せるし、今はすごくいい時期。海外に挑戦したらいいと思う」と助言をいただいたんです。そこから徐々に扉が開いていった感じです。

――19年に所属していた事務所を退社しました。その当時のことを教えてください。

私は映画がすごく好きで、作品に対しての思いがすごい強いんです。とてもこだわっていたので、退社前の後半の方は、全部自分で作品を選ばせてもらっていて、事務所も自由な環境を与えてくれました。ただ、やはり徐々に目指す方向性だとか仕事に対する考え方などにずれが生じ始めました。もちろん私も、日本での活動を続けたいという思いもありましたが、「アメリカでオーディションに受かって、地に足を付けて仕事をしていきたい」という思いが強かったので。

――不安はありましたか?

不安はなかったです。そもそも数年はオーディションに受からないだろうと覚悟していました。「最初の2、3年はそのつもりでやるしかないな」と。最初はオーディションに全然受からず、現実を突きつけられて、「やっぱりそんなに簡単なことではないんだな」と感じることもありました。でも、挑戦したい思いは私にとって譲れないものだったので、「目標を忘れないこと」を常に自分に言い聞かせることでモチベーションを保っていました。

――これまでにオーディションはどのくらい受けましたか?

数十本……百本は超えていないと思います。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

(聞き手:AERAdot.編集部 大谷奈央)


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