中森明菜「ザ・ベストテン」1位獲得回・曲数で単独トップ!そして知られざる「もう一つの大記録」とは - goo.ne.jp 中森明菜「ザ・ベストテン」1位獲得回・曲数で単独トップ!そして知られざる「もう一つの大記録」とは goo.ne.jp (出典:goo.ne.jp) |
中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、日本の歌手、女優。本名同じ。1982年5月1日デビュー。人気の点では松田聖子と並ぶ1980年代アイドルの双璧として、数多くのヒットナンバーを世に送った。アイドルの当たり年と言われた1982年のデビューで、82年組の1人である。芸能界では松田聖子の後輩に当たる。 109キロバイト (13,193 語) - 2021年1月10日 (日) 17:23 |
TVの全盛期でもあったね(^_-)-☆
中森明菜(55)が残した知られざる偉業とは――。1月24日、昭和の人気音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系)がCS・TBSチャンネル2で再放送された。今回は、中森明菜が「セカンド・ラブ」で1位を獲得した1983年1月2日分がオンエア。
明菜は「ザ・ベストテン」の1位獲得曲数17、1位獲得回数69で単独トップと周知されているが、もう1つあまり知られていない大記録の保持者でもある。
約12年に渡る番組の中で、歌手の“年間ランクイン数ベストテン”を算出すると、明菜は初登場した82年から7年連続で10位以内に入っている。これは、最多連続記録である。
たとえば、松田聖子はデビューから6年連続で10位以内を記録したが、結婚出産を経て芸能活動を休止していた86年はシングルを発売しておらず、1度もベストテンに入らなかった。通算ランクイン数1位の田原俊彦、同4位の近藤真彦は5年連続でストップ。番組初期の常連である西城秀樹は4年連続、沢田研二は3年連続に留まっている。
それに対し、明菜は82年の9位(16回)から始まり、85年には1位(40回)を獲得。83年から88年まで6年連続でベスト3に入っている。これも、全歌手の中で唯一である。レコード売上、有線、ラジオ、ハガキリクエストという4部門の総合チャートだけに、記録はより際立つ。
もちろん、放送時期やデビュー年という要素も大きいが、明菜とスタッフが〝戦友〟となって毎週見せ場を作り、視聴者を魅了し続けた事実も見逃せない。番組に12年間携わったプロデューサーの山田修爾氏は、著書で彼女の言葉を明かしている。
〈『ザ・ベストテン』はどうして成功したか知ってる?(中略)スタジオで歌う時、これは勝負だったのよ。セットはどういうセットなのか。カメラは私をどう撮ろうとしてるのか。毎回、セット、照明、カメラVS私の勝負なの。このフレーズでこう撮るか、こういう灯りで来るか、では私はこう動いてこう歌う、セットや照明、カメラに負けてなるものかと思って歌ってたのよ。わかってくれる? 私たちも一生懸命だった〉(08年12月発行「ザ・ベストテン」ソニー・マガジンズ)
スタッフと歌手が刺激し合うことで、お互いの能力を最大限に引き出していた。双方の勝負が圧倒的な熱量を生み、高視聴率に繋がった。そして、令和になった現在でも再放送が歓迎される番組になったのである。
【注1】通算・年間ともに1ランクインを1カウント。つまり、1週に2曲ランクインしていれば、2カウント。
【注2】ユニットや別名義のランクインは、別個にカウント(例:郷ひろみの78年郷ひろみ・樹木希林、沢田研二の82年タイガース、田原俊彦の85年Toshi & Naoko、チェッカーズの8年Cute Beat Club Bandなど)。いずれも、公式本の集計方法にならった。
▽取材・文=岡野誠/ライター
芸能研究家 78年生まれ。著書「田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018」(青弓社)では〈「ザ・ベストテン」の時代〉という章も設け、巻末資料では公式本にも載っていない「ザ・ベストテン」の年別ランクインデータを収録。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ee977818769b81107bb16cb6eeea7bf1638d7f9
1/26(火) 9:26配信
(出典 Youtube)
中森明菜 - スローモーション
(出典 Youtube)
中森明菜 - セカンド.ラブ
(出典 Youtube)
中森明菜「LIAR」
>>1
こういったスレが立つときは大体が記念CDの発売直前なんだよな
芸スポはプロモーションに利用してる広告会社やユーチューバーが多すぎ
>>27
来月だか再来月に中森明菜のパ*の新台が出るんだよ
そのためだろうな
当時の再放送の方が
今の音楽を聴いてるより楽しかったりするからな
1982年は、まだ久米宏の頃か
>年間ランクイン数ベストテン
これがよく分からん
ランクインって何位からなんだ
>>5
ベストテンだから10位内じゃないのか
通常放送のベストテンにランクインした回数が何回か
声変わりするまでが良かった
天才で努力家だけど気分屋だから扱いが難しかったみたいだ
家族が黒くて明菜が稼いだ金を使い込んだとか
事務所に勝手に借金作って明菜が逃げられなくてこき使われたとか
それでメンタル病んで自殺未遂とか
なんかいろいろ不幸だよな
>>10
本人には残酷だけど、そういう背景があったからこそ歌えた曲が多かったし誰よりも輝けた
ひばりも安室も宇多田も背負わされた業というか修羅が見え隠れする
>>21
歌番組もドラマも押し込んでたのに
本人が体調崩しちゃったらどうしようもないよ
そもそも明菜って母親の希望をかなえるために歌手になっただけで
本人はそんなに人前で歌いたい欲求があるわけじゃなかったからなあ
個人的に中森明菜といえば少年マガジンのグラビア。
何十回もお世話になりました。
この番組はバタバタした感じがよかった
明菜は芸術家でありカリスマ
95年以降も続いていればあっさり破られてそうな記録ではあるが
曲が7つすぐに思い出せたのですごい
>>24
明菜本人は家族に使われたと言ってるよ
もし金要求してくるような彼氏ならその場で別れるけど
家族だから断れなくて苦しんでたと
ひょうきんベストテンも若手中堅芸人の勝負の場だった
やったもん勝ち、笑わせたもん勝ちのカオスだったな
明菜はあんなに歌がうまいのにこんなことになって......
せめて個人として幸せに暮らしてほしい
(´;ω;`)ブワッ
セカンドラブまで。
それ以降の歌はどうでもいい。
1982年11月29日付オリコン週間シングルランキング
1↑ セカンド・ラブ 中森明菜
2↑ 3年目の浮気 ヒロシ&キーボー
3← 約束 渡辺徹
4↓ 野ばらのエチュード 松田聖子
5← 夏をあきらめて 研ナオコ
6↓ 誘惑スレスレ 田原俊彦
7← ZIGZAGセブンティーン シブがき隊
8↑ ホレたぜ!乾杯 近藤真彦
9↑ 抱きしめたい 松本伊代
10↑ Ya Ya(あの時代を忘れない) サザンオールスターズ
11↓ あせかきベソかきRo*'n Roll run T.C.R.横浜銀蝿R.S.
12↓ すみれSeptember Love 一風堂
13↑ 恋人も濡れる街角 中村雅俊
14↑ とまどいの週末 堀ちえみ
15← 横恋慕 中島みゆき
16↓ 少女A 中森明菜
17↑ さざんかの宿 大川栄策
18↑ ROCKIN' MY HEART 矢沢永吉
19↓ 待つわ あみん
20↓ 花梨 柏原芳恵
「セカンド・ラブ」中森明菜
作詞 来生えつこ / 作曲 来生たかお / 編曲 萩田光雄
(出典 Youtube)
「少女A」中森明菜
作詞 売野雅勇 / 作曲 芹澤廣明 / 編曲 萩田光雄
(出典 Youtube)
>>32すげー年だな。殆ど知ってるヒット曲ばかり。
ベストテンは89年にほんと中途半端な形で終わった。
CDTVの方が28年も続いてるんだもんな。
中森明菜をYouTubeで見出すと止まらなくなる
松田聖子だとそうならないのに
一曲聴いても次見たくならない
>>37
分かる
気づいたら2時間たってたりする
バックダンサーがいるDESIREの映像は今見てもシビれるな
愛・旅立ち
ミ・アモーレ好き
CSで見たけど黒柳徹子と久米宏のパワーが凄いね
こんなのあったら毎週見るわ
ベストテンが続いてたら安室浜崎宇多田辺りが軽く抜いてた記録
昔の歌番組のよさはポップスロック演歌ジャンル関係なしで何でもありなとこだろうね
興味ないものに触れる機会が出来るのはいいと思うわ
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