上野樹里、奥田民生の“泥酔騒動”で苦言を呈した夫を即フォロー!「売れっ子なのに」自由に動ける理由(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 上野樹里、奥田民生の“泥酔騒動”で苦言を呈した夫を即フォロー!「売れっ子なのに」自由に動ける理由(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
上野 樹里(うえの じゅり 1986年5月25日 - )は、日本の女優。本名は和田 樹里(わだ じゅり)。旧姓は上野。兵庫県加古川市出身。アミューズ所属(2022年3月31日まで)を経て、個人事務所での活動(Don-crewと業務提携)。 母親を中学時代に病気で亡くしている。三人姉妹の末っ子で、DJ 45キロバイト (5,642 語) - 2022年5月5日 (木) 08:21 |
上野樹里、奥田民生の“泥酔騒動”で苦言を呈した夫を即フォロー!「売れっ子なのに」自由に動ける理由
今年3月をもって大手芸能事務所・アミューズから独立し、Don-crewと業務提携という形を取って個人で再スタートを切った女優・上野樹里。
現在は4月期の連続ドラマ『持続可能な恋ですか?~父と娘の結婚行進曲~』(TBS系)で主演を務めているが、5月に入ってからは、TRICERATOPSのボーカルを務める夫・和田唱の騒動の“フォロー役”に回り、業界内外で一目置かれていたようだ。
和田は奥田民生にキレていた
このゴールデンウィーク期間中、音楽ファンを中心にネットを騒がせた和田。
彼が率いるTRICERATOPSは、4月29日~5月1日に開催されたロックフェス「ARABAKI ROCK FEST.22」の2日目に参加し、そのステージにはレミオロメン・藤巻亮太やGRAPEVINE・田中和将、ユニコーン・奥田民生などがゲスト出演していたが、和田は5月2日にTwitterを更新して、
《ステージ上での泥酔を良しとする風潮はどうなのよ?それを最高だの可愛いだの言うお客さんも俺はどうかと思うし、許してるスタッフの大人たちも問題ありだと思う》
《周りがチヤホヤして許すから裸の王様が出来上がるんだ。みんなが言わないんだから俺が言う。以前は尊敬してたけどね》などと投稿。
この時点では名指ししていなかったものの、ネット上では「自分も現地にいたけど、あのステージで泥酔していたのは奥田民生」「和田がキレている相手は、奥田民生ですね」などと話題に。
和田はその後のツイートで、
《民生さんと直接やり取りができた。民生さんは謝罪をしてくれた。俺も思ってることをハッキリ伝えた。一連のツイートは消すことにします。俺は、シャイだけどカッコいいOT先輩が見たかったんだ。昨日ツイートせずにいられなかったのは『あの感じ』がまかり通ってる風潮に怒りを覚えたからです》
とつづり、やはり当該人物は奥田であったことを明らかにした。
「和田によれば、すでに奥田と話がついており、謝罪もしてもらったということですが、同騒動について、ネットユーザーの間で賛否両論が飛び交っていました。和田の主張を“もっともだ”と受け止める者もいれば、“民生さんが先輩だから直接言いにくかったのかもしれないけど、わざわざTwitterで騒ぎにした和田も、なんだかな~”といった反応を見せる者も」(音楽誌ライター)
上野樹里が“自由に動ける”理由とは
なお、和田が削除する前のツイートには、一般ユーザーから“泥酔するようなミュージシャンをステージに呼んだのは和田側ではないのか?”という主旨のリプライがついていたのだが、これに対し、和田の妻である上野が登場して、「ゲストに呼んだのは唱さんじゃありません。イベント側です」と説明。
この展開は、一部ネット上で「上野樹里まで出てきた!」と注目されていた。
「奥田側の謝罪が報告された後も、ネット上の音楽ファン、特に奥田ファンの中には、和田へのモヤモヤを抱えたままの者も少なくない様子。一方、上野に関しては事実を補足しただけなので、これといって叩かれていませんし、業界内ではむしろ『下手に首を突っ込めば“飛び火”する恐れもあったのに、それでも夫をフォローした勇気はすごい』と感心する声も聞こえてきます。和田の立場からしても、妻が公に味方してくれてさぞ心強かったでしょう」(同・前)
そんな上野といえば、昨年、同じく女優の戸田恵梨香と水川あさみが“不仲説”を否定するSNS投稿を行った際も、自身のTwitterで「水川あさみちゃん、戸田恵梨香ちゃん、偉いよ!最高だよ」などと称賛し、彼女たちを上手にアシストしていた。
「このように、上野はもともと自然にフォローやアシストができるタイプですけど、今春の独立によってさらに自由な動きが可能となったのでしょう。だからこそ、夫の騒動にも躊躇なく介入できたのでは。上野は今後ますます、公私にわたって周囲から頼りにされる存在となっていきそうです」(スポーツ紙記者)
ちなみに、TBSで主演中の『持続可能な恋ですか?』についても、本来起用される予定だった戸田が降板したため、上野が代役を引き受けた……という経緯が報じられていたが、結果として同ドラマはネット上で概ね好評。
上野は女優業でも、しっかりと局を助けてあげられたようだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5fe05362c79c1c06a73e15accaf91482f11d84a?page=1
>>1
この和田って奴のツイートが自分に酔い痴れまくってて超きしょいな
上野樹里だいじょうぶ?
>>45
俺が俺がって野郎らしくて
それをステージ上で奥田民生に咎められたら
逆切れしてあんなtweetしたのが真実みたいだね
>>45
これはちょっと思うのよ
言いたいことはわからないでもないが
お前も酒ではないが酔ってるだろって
>>1
典型的なバカ夫婦だな
こういう時は表向きはパートナーをたしなめるのが正しい火消し
>>77
頭悪い者同士気が合うんだよw
>>77
よりによって旦那が今後もお世話になるイベンターディスったからね
>>77>>84
愚妻
>>1
どうでもイイが当事者同士は問題解決してるのに
なんで外野が騒いでるのかが理解に苦しむ
そりゃ昨今Twitterがオワコン化して
最早日本人しかツイートしてないと揶揄されるよな
更には熱狂的なファンは正直そのアーティストにとっては癌でしかないとあらためて証明された
>>1
フォローって昔なら「うちのバカ夫がやらかしてすいません反省させます」と役割分担で中和させる感じだったのが今は「うちの夫は正しいんです!」と全面的に肯定するようになったんだな
>>1
でしゃばりイメージがついた
で、上野樹里はなんて言ったの?
>>5
何処まで恥知らずなの?*なの?
>>9
和田が恥知らずなの?
>>15
お前だよ。
>>15
1嫁や
>>15
アッコにおまかせ
こいつはこいつで台湾でのライブ中にパンツ*公然わいせつとか無かったか?ハチャメチャなイメージあるけどな
高嶺の花は良かった
>>16
それ違う人
>>16
それ銀杏BOYZの峯田なw
畑違いの揉め事な上に売れっ子大先輩をディスってる場に嫁がシャシャリ出てくるとかw
>>22
まじでそれ
気の強さが出たな
無駄に炎上して夫の対応も褒められたもんじゃない
民生(みんせい)って言葉はどこか左寄りな感じがするがどうしてだろうか
>>23
親が共産党だかの偉いさんとかだっけか
もう上野樹里でヌクの止めるわ…
>>26
ええ...
和田の妻って吉木りさだろ?なんで上野樹里?
>>40
吉木りさの夫は和田正人
奥田民生の持ち上げは異常。
やった事は奥田民生の方が悪い。いい歳して。泉谷しげるでもやんないわ。
和田攻撃すんのおかしい。言わないと奥田民生がこれ以上つけあがると、気持ち悪い。
>>42
大物ぶってる界の小物だわ
上野樹里って旦那さんのこと大好きなんだね
ドライなイメージあったから夫のフォローするなんて意外だったわ
>>48
元々、上野樹里がTRICERATOPSファンじゃなかった?
>>48
それがいいなと思ったわ
こんな人と結婚した和田が羨ましい
>>48
なんか良かったよね
気がつよ!よりそっちだよね
>>48
平野レミと和田誠はジジババになってもラブラブで
理想の夫婦と言われてたからな
元々、上野樹里は気が強くて有名だろ
黙っていられないタイプ
>>51
SNSで失敗するタイプだな
>>51
*
和田の祖父 平野威馬雄
東京市赤坂区青山北町(現在の東京都港区北青山)の柳原愛子邸に生まれ[3]、横浜市西区老松町に育つ。
父は弁護士事務所勤務から富豪の未亡人の3番目の夫となったことで財を成し、美術好きの日本通としてサンフランシスコ日米協会The Japan Society of San Francisco(The Japan Society of Northern Californiaの前身)の初代会長を務めたヘンリイ・パイク・ブイ(Henry Pike Bowie)で、その妻の死後1893年に来日し日米を行き来していた。威馬雄は「ブイはフランス系アメリカ人であったが、遡ればスコットランドの貴族の家系で、ナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌの近い親族の子孫にも当たる」としているが、アメリカの資料では、18世紀にスコットランドからアメリカのメリーランドに移民したブイ一族の子孫である[4]。母の平野駒は夫同様カトリックを信仰する日本人で琴の教授だったが、近所ではラシャメンという蔑称で呼ばれ、差別に苦しんでいた。威馬雄は父から『家なき子』の登場人物に因み、レミと呼ばれて育つ。父親は日米を行き来していたが、威馬雄が7歳のときに来日して2年間ともに暮らし、
再びアメリカに帰国[5]。
>>63
柳原 愛子(やなぎわら なるこ[1]、
1855年5月31日〈安政2年4月16日〉[2]または同年6月1日〈4月17日〉[3] - 1943年〈昭和18年〉10月16日)は、明治天皇の典侍で、大正天皇の生母。幕末の議奏・柳原光愛の次女で、伯爵柳原前光の妹。「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮は姪にあたる。
位階の正二位をもって二位の局(にいのつぼね)と呼ばれた。死後従一位を追叙されたことから一位の局(いちいのつぼね)と呼ばれることもある。女房名は梅ノ井(うめのい)、早蕨典侍(さわらび てんじ)など。
和田の叔父
ロフトプロジェクト代表の平野悠
大学時代に新左翼運動にはまり、大学中退後に郵政省に入省、新左翼系労働運動に従事し逮捕歴3回[1]。
1970年に郵政省を辞める[1]。1971年にジャズ喫茶「烏山ロフト」を開店[1]。その後、ロック・フォーク系のライブハウスとして、西荻窪ロフト、荻窪ロフト、下北沢ロフト、西新宿に新宿ロフトをオープン[1]。1980年にはロック居酒屋「自由ヶ丘ロフト」も開業したほか、レコードレーベルなども立ち上げたが、1982年に新宿ロフトのみの経営となる[1]。
5年間で100か国を旅し、ドミニカ共和国で市民権を獲得し、1987年に日本食レストランと貿易会社を設立[1]。1990年の大阪花博ではドミニカ政府代表代理、ドミニカ館館長を務める[1]。1991年に「下北沢SHELTER」をオープン[1]。1992年にドミニカから撤退して帰国[1]。1995年に歌舞伎町でトークライブハウス「新宿ロフトプラスワン」をオープン[1]。
アメリカ人の日本研究者ヘンリイ・パイク・ブイの孫(次男の子)である平野レミはいとこにあたる[2]。
>>73
民生のほうも頼む
いかんせん当事者の片方が無名過ぎる
「平野レミの息子」「上野樹里の旦那」
>>92
和田さんは東京の超セレブだぞ
田舎もん奥田なんか相手にならん!
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